2007年8月7日火曜日

第4回『年誌』関西シンポ資料 八木さんのレジュメ

現代革命とブントの諸論争~第4回『年誌』関西シンポジウム

6月24日・八木健彦

 <はじめに>

 60年代後半~70年代初頭における世界的闘い、そしてその世界性の共有を追求した日本の闘い、それは国際共産主義運動の中でどのような歴史的位置を有し、どのような壁に挑戦し続けたものだったのだろうか。そしてまたどのような限界につきまとわれながら、どう敗北したものだったのだろうか。

 それはいわば、1920-21年にレーニンとロシア共産党・コミンテルンが突き当たっていた壁を引きずりながら、新たな歴史的位相と条件の下でそれを乗り越えるべく挑戦しながらも、あまりの主体的未熟さの故に砕け散ったと言えよう。(ただ、一旦切り開かれた闘いはその後様々に広がっていったのではあるが・・・。)

Ⅰ、60年代後半~70年代初頭の闘いの歴史的特質

 冷戦構造と戦後帝国主義=フォーディズムの成熟平準化=高度成長と再分割戦 

 米帝の軍事的経済的基軸国化と侵略反革命同盟(安保・NATO)、IMFドル体制生産過程のフォードシステム化(労働過程での知識と管理の資本への集中、自動機械、科学の資本の力への転化、構想と実行の分離の巨大化、技術・管理の巨大化と階層性・差別・細分化etc)と、それを土台として労働者の消費様式を変革し積極的に蓄積体制に組み込んだ、耐久消費財の大量生産―大量消費の成長体制、これらの基礎ともなり結果でもあった社会契約的な労資協調体制(その直接の中心は「テーラー主義の受容」対「生産性インデックス賃金」の取引)[註1]、そしてそれを包み他階層へ波及リンクさせていくケインズ政策と管理的福祉国家、そういう全体を“フォーディズム”と呼ぶ。 

 従ってフォーディズムは戦後革命の挫折の上に、労働運動・旧左翼を社会契約的な労資協調へと引き込み、組織化し、大量生産―大量消費を生活文化様式にまで及んで社会全体の規定力としていくブルジョアヘゲモニーでもあった。[註2]

 そしてその下での国家は、同じ基盤に立つ者にはコーポラティズムとして、その外にある者には暴力的抑圧と差別的統合を、民主主義の外皮で掩い包んでいた。

 実際、この下で官僚的警察的抑圧機構は強化・肥大し続けた。

 スターリン主義的「国家社会主義」(一党・一分派による政治・イデオロギーの独占を基礎とした、官僚による労働と生産の指揮命令型集産主義経済)の、軍事的=警察的抑圧体制と帝国主義との生産力―福祉競争

 第三世界では、植民地独立にもかかわらず、大土地所有、買弁・流通資本支配、外国資本の原料・工業支配は相変わらず。「新植民地主義」とか「低開発の開発」(新従属理論と言われたもの。[註3]

 不均等発展と再分割戦の進行は“ドル危機”として端的に表現。

 侵略反革命とフォーディズム、管理的福祉国家秩序と第三世界の抑圧収奪は表裏一体のものとして。

 フォーディズムは第一次大戦~ロシア革命以降、大戦間の試行を経ながら資本主義が行き着いた一つの画期であり、グラムシも注目していたものであった。

 [註1]“社会契約的な”労資協調体制は先行する階級闘争の諸結果であり、ニューディール連合や人民戦線~祖国戦線や戦後革命の挫折としての戦後民主主義体制、及びソ連圏「国家社会主義」との対抗を基盤として、また直接には従来の労働過程の相対的自立性と労働者相互扶助に基づいた労働社会とそれを基盤として組織化した戦闘的労働運動の徹底的弾圧の上に、巨大労組―改良主義「労働者」政党による利害代表という構造で体現された。「テーラー主義の受容」と「生産性インデックス賃金」の取引は、こういう構造の中にビルトインされたものであった。

 第2次ブンドの「階級的労働運動」は、このような“社会契約”の構造(内容的にも政治組織構造としても)そのものと対抗する運動を築いていくことを主軸として、それに諸々の個別的な闘いを結びつけていくべきこと、(とくに官公労や中小の地域労働運動を結びつけていく)そうでない限り階級的運動たりえないことを主張したのだと言える。(「反帝統一戦線と階級的労働運動」)

 [註2]フォーディズムを基盤として成長した多国籍企業が、フォーディズムの行き詰まり(70年代のスタグフレーションやエネルギー危機で顕著に)に対して新自由主義でもってその支配を拡張し、グローバリゼーションとして世界を席巻しつつ、一面ではフォーディズムを堀り崩し、社会的危機と階級闘争の新たな条件を招来させていることは、第3回のシンポで触れられている。

 [註3]60年代末以降、第三世界の一部で、「開発独裁」と外国資本支配下での従属的工業化(輸出工業)が進行し、(それは多国籍企業化と相即的)、そしてNICS等が台頭したこと、そして今日では多国籍資本の支配=グローバリズムと反グローバリズムのせめぎあいをつくりだしていること、そうして民族解放闘争の新たな時代が始まっていること、これも前回で触れられている。

 ,世界プロレタリア革命の一環としての反帝・反封建・反買弁の民族解放(中国・キューバ・ベトナム)= 民族解放闘争の世界革命の最前線化

 最晩年のレーニンの予見。

 スターリン主義との相克

 冷戦構造を揺り動かし世界革命の最前線を形成したベトナム革命戦争

 OLAS―ゲバラ・カストロ路線

 ,中国「プロ文革」とユーゴ「自主管理社会主義」

 中国「プロ文革」は諸々の問題を曝しながらも(「階級闘争」が一分派による政治・イデオロギーの独占に帰結とか、過渡期の諸方策を“資本主義的”とする否定だとか、農民的水平主義的共産主義だとか・・・)、管理の問題、分業止揚の問題を公然と課題に掲げた。

 ヨーロッパの共産主義運動に大きな影響を与えたユーゴの「自主管理社会主義」

 チェコ“プラハの春”・・・・(「管理」の問題が公然と大問題になったのは、1920年前後の「労働組合」論争からネップへの移行における、レーニン・トロツキー・労働者反対派等の論争以来である。)

 ,帝国主義国では・・・・

 アメリカでは「ニューディ-ル連合」を左へ突き破っていく闘い~ベトナム反戦闘争と黒人解放闘争の合流、SDS、対抗文化(ウッドストック)

 フランスーカルチェラタンと「五月革命」、イタリアー続発する工場占拠

 ドイツ学生闘争―SDS。「権威主義的コーポラティズムを内実とする民主主義」批判

 以上の俯瞰から見えてくる60年代後半~七〇年代初頭の闘いは帝国主義の侵略反革命に対決しつつ、フォーディズムへの対抗、それの根本的な拒絶・転倒 ということに集約できる。

 国際的な学生叛乱も、帝国主義の侵略反革命との対決と前記の「科学や知識の資本への集中とその抑圧力への転化」、「技術・管理の巨大化と階層性・差別・細分化」への編成、労働力再生産機構=管理的福祉国家秩序との対抗的関係にあったと言える。

 だからフォーディズムとの対抗は、諸々の個別的な現実的契機をめぐっての闘いと同時に、社会主義をめぐる「労働者自身による自主的意識的な労働と生活の管理・運営」「工業と農業、労働者と農民の関係」「市場や割り当て経済に代わる道」

 「第三世界との関係の変革」etcといった問題を内包している。

 “民主主義と暴力”を巡る問題は、フォーディズム下の国家との対決にあって本質的問題であったが、それは侵略反革命との対決―世界革命の貫徹という国際主義とフォーディズムへの対抗、その拡大・深化に裏打ちされてこそ意義あるものであった。すなわち、暴力とヘゲモニーの問題。ヘゲモニーに基礎づけられヘゲモニーを貫徹するものとしての暴力。労働者人民の自己権力としての暴力。・・・

 全人民的政治闘争~平時からのソヴェト運動という構図は、国際主義と権力問題~フォーディズムに取って代わる社会革命の諸課題という射程でこそ、より十全な意義を持ち得たのでは・・・

 ,第2次ブンド6回大会~7回大会

 マル戦派の主導でのブンド再建統一=6回大会

 岩田世界資本主義論;基軸国の国際収支危機による多角的決済機構の崩壊と基軸国の動揺による世界資本主義の危機と合理化攻撃&水沢階級形成(労働過程)論;労働者は商品売買関係では自由・平等の関係だが生産過程では支配強制の関係であり、生活・権利の要求もこの強制・支配関係に直面する。

 「生活と権利の実力防衛を反帝闘争へ!反帝闘争をプロレタリア日本革命へ!」

 「日本革命をアジア革命の勝利と世界革命の突破口とせよ!」

 7回大会=関西ブンド系の主導権確立とマル戦派との分裂

 過渡期世界論と帝国主義の不均等発展~再分割戦

 3ブロック階級闘争の結合=世界同時革命

 帝国主義の侵略反革命と帝国主義的社会再編粉砕!

 <国際主義と組織された暴力>

 6回大会の路線が経済主義的で一国主義的なのはいうまでもないが、それにとって変わった7回大会路線は、国際階級闘争をトータルに対象化して獲得すべき同質性を提示しょうとした点では画期的であったが、労働過程論(絶対的とくに相対的剰余価値の生産)や労働力再生産過程を帝国主義論の中に位置づけられなという重大な欠陥を内包していた。

 それゆえ、プロレタリアートの現実への批判に基礎を置くのではなく、抽象的な観念化された主体をに基礎を求める傾向を生み出した。

  闘いの深化とともに必然的となった綱領問題にあっても、資本主義批判・帝国主義批判~共産主義論を貫く赤い糸=労働過程論・絶対的相対的剰余価値生産・賃労働制の全面的批判という土台を欠いて、イデオロギー的分岐とすれ違いを促進した。

 全人民的政治闘争~平時からのソヴェト運動という構図は、国際主義と権力問題~フォーディズムに取って代わる社会革命の諸課題という射程でこそ、より十全な意義を持ち得たのでは・・・

 統一(連合)と分裂をめぐる党組織論の問題については別途。

 Ⅱ 戦術における「左翼主義」の止揚と戦略的組織―活動

 60年代末に、国際階級闘争は帝国主義諸国の革命の問題を提出した。そして帝国主義諸国での端緒的な大衆的武装闘争の波はその足踏みとともに革命の問題を提起した。

 だが、「革命の問題を提起」ということは今すぐ革命が可能ということではなく、革命を観念の中での構想ということから現実の問題として捉えること、従って、日々の活動と組織が革命を準備するものとして、意識的に系統付けられたものとならねばならないことを提示していた。

  現実の階級闘争の最前線で闘いながらその中に意識性と組織性を持ち込み、革命を準備する戦略的な活動―組織に結びつけていくということは、従来の戦術における左翼主義=「革命的敗北主義」と称された自然成長論的な考え方の克服を不可欠とするものであった。

 ブンド8回大会は、こういう転回点において、「革命家の組織」や「軍事組織」や「綱領問題」や「階級基盤の強化」や等々、諸々の問題を提起したが、それらのことが分化しつつある諸傾向間の党内論争の組織化と結びつくことなく、意味あるものとはなりえなかった。

 8回大会の主題は、決定的に重要なものとしての「組織建設」ということの提起であったが・・・・。

 レーニン主義の道とは?

 Ⅲ 党組織論

 6回大会→7回大会におけるマル戦派との分裂と、その反省的総括の回避はその後自身に跳ね返ってくるものとなった。

 第2次ブンドもスターリン主義党組織観=「民主集中性」や「一枚岩党」をひきずっており(コミンテルン5回大会のボルシャヴィキ化で確立)、事実上の連合性や分派性は無視され、その止揚や論争の方法論自体が存在しなかった

 転変する階級闘争内にあって、党内に様々な傾向が生じ、様々なグループが生まれ、分派という形をとりもすることは、当たり前のことである。レーニンの党組織論にあってもそれは前提である。その中で党内論争を組織し、その党内論争によって全体を統一する主流派へと形成すべく努力していくのであり、そういうことの経験と訓練の蓄積が重要なのである。

 21年の分派禁止は最大の危機の瞬間における臨時的非常措置であったが、それは常態化していきスターリン派の党支配の起点となった。(「なにをなすべきか」における「社会主義のイデオロギー」と「自然発生性の目的意識性への転化」「諸階級層の相互関係と全面的政治暴露」の相互関係)

 vsスターリン主義の党観&革共同・黒田の党観&

 とはいえ、一つの党としては社会主義のイデオロギーや綱領なり、戦略戦術や、運動の対権力・資本関係なり、大衆的階級的結合・基盤なり、組織建設の蓄積なりの一定の水準と共有は前提される。こういう力量・蓄積の弱さということもあった。

 とりわけイデオロギー的な脆弱性と組織建設における脆弱性。

 組織建設の脆弱性がマル戦派との分裂へと駆り立てる?

 総じて連合する能力、連合の中で論争を組織しながらその止揚・主流派ヘゲモニーの形成していく能力の弱さ。

 Ⅳ ブンドの根本思想をめぐる問題

 ,第1次ブンドの分裂と第2次ブンド

  1次ブンドが戦旗派・プロ通派・革通派に3分解し、戦旗派=世界観と労働者党

 プロ通派=実践論・戦略―運動論、革通派=危機論(帝国主義論)―戦略論

 戦旗派は革共同へ移行し、よって第2次ブンドはプロ通派と革通派の合同―相互止揚という方向で形成された。

 それ故、「立脚点」的なイデオロギーをめぐる論争は予め視野の外に。(もしくは個人の領域)

 そういうイデオロギー的基盤の脆弱性は、「武装」を契機に、現実の階級闘争がどこから、何故に、どこへ向かっているのかという前提・共通認識の欠如として顕在化し、プロレタリアートの闘う必然性と、闘う契機や個々の運動と、対抗的な社会変革路線とが不可分のものとして登場していることに対して応じきれないという問題を生起させた。

 2,それに答えようとしたものとして田原のプロ独・共産主義論があり、その(自己)批判的超克をも含んで、12/18ブンドの資本主義批判や黒田哲学批判があった。

 田原のプロ独・共産主義論については今は触れない。

 12/18ブンドの榎原資本主義批判と黒田哲学批判はその歴史的意義を認めた上で、今日的には批判的に越えられねばならない。

 榎原資本主義批判の問題点

 資本論第一巻の価値論的完結→特に相対的剰余価値の生産等労働過程論の無視、賃労働制の全面的な暴露=プロレタリアートの現実の全面的な暴露とそこでの旧社会の変革的諸契機と新社会の形成的諸要素の成熟ということを、資本主義批判からそぎ落としている。(マルクスがそこでそういうことを論じていることを知っているがあえて取り扱わないと述べている。それでどうして第1インター一般規約第一条の深遠な思想云々と言えるのか!)

 確かにそこからは帝国主義論も信用資本主義論となり、社会革命も物象化論から導くことにならざるをえない。

 黒田哲学批判における問題点

 初期マルクスの疎外論の克服=ドイデ・分業論と「社会関係の総体」→資本論へという把握

 初期の労働論・疎外論を克服された急進民主主義的傾向としてではなく、資本論との関係の中に捉え返すべきでは?