2007年7月2日月曜日

第4回『年誌』関西シンポジウム報告

 6月×日、第4回『年誌』関西シンポが開催された。数十名の参加で、活発な議論が行われた。反グローバル運動を担い、ドイツ・ハイリゲンダムサミット反対闘争に参加した若手活動家の報告や元マル戦怒濤派の成島忠夫氏の9条ネットからの参議院選立候補についての要請や『年誌』メンバーからの『年誌』政治潮流化の提案もあり、「9条改憲阻止の会」を中心とする6・15反戦・反安保・9条改憲阻止日比谷野音集会が4桁の結集で成功したり、若者を中心にしたフリーター・派遣労働者などの労働運動が盛り上がってきたりと、政治社会運動が高揚しつつある中で、共産主義運動に、より実践性を意識した議論が必要となっていることが示されていると思う。
 以下、岩田氏の報告を多少加工したものを掲載する。こうした議論への注目・参加をお願いしたい。
    
 「第4回『年誌』関西シンポの総括と今後の展望について(案)」から      
 「討議」部分は、一応テープと照合し「意訳」的に列記しています。
 7月1日・岩田吾郎

 報告と討議について

 G8サミット反対闘争(A・B)と『年誌』報告(C)は、一方で、ヨーロッパに於ける反グローバル運動の持続性(10万人、多国籍性、下層・若者)と「信条」としての「共産主義」等の復権(マルクス、ローザ、トロツキー、ゲバラ等)の状況、他方で首都圏での政治的大衆運動、非正規の若い労働者運動の再生に対して、『年誌』~ブント系「政治潮流化」の提案であった。一見、離れているようだが、報告を通して、世界的・日本国内的政治状況は、大衆運動、政治運動が同時的、同質的に再生、流動化している事が理解されたと思われる。特に、G8サミット反対闘争の報告と意見交換は、プロレタリア国際主義、共産主義の現在性について不可欠の課題を提起していた。
  最後に、10・21京都集会の提起(D)、成島忠夫さんの参議院選挙立候補(9条ネット)の提起(E)を受けた。「街頭」と「議会」、この幅を持って政治的大衆運動の再生は目指され、開始されている。賛否、又は意見の相違は別として、実際上の「現代革命」への接近、現実化は以上の「幅」を持って試みられようとしています。かつ、「共産主義者」の今日的任務も・・・。

 八木レジュメ報告~別紙

 F氏のコメント

 Ⓐヨーロッパの反グローバル運動・世界社会フォーラム等の評価~レーニン主義組織論の対極の運動・組織観が生まれているのでは無いか。我々は、マルクス・レーニン主義の復権としてスターリン主義批判であったが、連合赤軍の誤りのようにスターリン主義を再生産してしまった。新たな世界的な運動から学ぶ必要がある。
 Ⓑ(ポーランド)連帯の登場以降、アダムスミス「国富論」、ルソー「社会契約論」を学んだ。ルソーの人民民主主義、徹底した民主主義の問題~「シトワイアン」の~自立した「市民」が主体的、自立的に行動し、共同体、国家への自立的参加~復権の必要性。
 Ⓒ「シトワイアン」の復権~相互批判、違いを認め、寛容性の必要。暴力的分裂、対立、抹殺の克服の必要性。今後、40、50歳代のメンバーが接着剤となって、我々60年代世代と現在の世代を結びつけることが必要だ。

 G氏のコメント

 Ⓐ連合赤軍の総括~ブント(赤軍派)の急進主義運動の帰結=連合赤軍の粛清・敗北では無い。毛沢東思想、スターリン主義=革命的左派との軍事のみで「野合」「屈服」が問題。「外来思想」の無批判的盲従?この路線闘争の敗北=ブントの「極左的偏向」の弱点
 Ⓑ基本方向の提案~八木さんの資本主義を基準の「総括」を了解出来る。かつ12・18ブント資本主義批判・宇野経済学批判の意義。望月、荒の「転向」をどう見るのか?資本主義批判を取捨する傾向。その根拠として宇野経済学がある。しかし、12・18ブントは「召喚主義」的であり、「資本主義批判」に於いても分裂して行っている。八木さんのフォーディズム批判のウエイトは疑問である。資本主義の第三段階としてのグローバル資本主義の批判の必要、現代革命の基礎の解明。
 Ⓒ疎外論批判~資本主義批判の「認識」のみで、労働者の主体形成は可能か?人間論、「自主性」の提起。9条改憲阻止の会の意義~個人が主体としての運動の意義、可能性の問題。「召喚主義」」ではダメである。

 H氏のコメント

 Ⓐ八木レジュメの「総括」に基本的に賛成。
 Ⓑ資本主義のグローバリゼーション、「第三段階」をどう捉えるか~世界革命の「周期」を考える~フランス革命➡パリ・コンミューン。1905年・17年ロシア革命➡中国革命、キューバ、ベトナム革命で終了。「新第三期論」の必要。
 Ⓒレーニン「帝国主義論」に対して、ローザ「資本蓄積論」の(資本主義の周辺論)再評価の必要。これらも含めて、現代帝国主義の解明が必要
 Ⓓ再結集の政治綱領と資本主義批判について~ブント第三次綱領草案でも「資本主義批判」は「共産党宣言」、ロシア社会民主党「綱領」を基礎にして書かれている。しかし、実際はロシア民主党内でも、ブハーリン等の資本主義批判の相違はあった。問題は「政治潮流」の枠内にあるかどうかである。ブントが再建されても、宇野経済学の影響のある者いるし、生まれる。宇野経済学が不断に「社会民主主義」に傾斜し、結合するから批判する以上でもない。資本主義批判の位置を考える必要がある。またぞろ「排除の論理」が働き「分裂」を再生産する。
 Ⓔ党組織論について~スターリンの源流=レーニン云々で無い。レーニン組織論とスターリン組織論はまったく違う事を踏まえる必要。C、八木君が言われたように、ロシア共産党のスターリンによる「ボルシェビキ」化の経過を再考する必要がある。
 Ⓕ黒田哲学批判については精通していないが、初期マルクスと「ドイツ・イデオロギー」の史的唯物論の確立を経ての、後期マルクスでは「断絶」があり、後期マルクスを支持する立場です。

 参加者のコメント~討議

  • ◎司会~ⓐ戦後、冷戦期の資本主義を、従来「国家独占資本主義」と考えて来た。しかし、  フォーディズムというのは、新たな生産システムとして考えて来たのでは無いか。そういう意味では新たな資本主義システムとして考えられるのでは無いか。フォーディズムと言うのか、国家独占資本主義と言うのか?

  • ◎I~ⓐ戦後帝国主義を、国家独占資本主義一般では無く、労働過程の分析~フォーディズムから再総括の必要がある。
  • 現在の帝国主義のグローバリズム段階は、フォーディズムを経ての、その転換としてある。それは、世界革命の諸条件をより生み出している。世界同時革命は、世界政治・社会同時革命とならざるを得ない。その前段階として60年代階級闘争があった。だからその敗北の総括、教訓は、今後の我々の闘いの条件となる。

  • ◎J~Iは、我々は「フォーディズム」に負けたと言いたいのか?

  • ◎I~一言で言えば、「フォーディズムという資本主義」に負けたと言える。もちろん、戦術、組織論等の他の要素もあるが。しかし、世界共産主義革命の諸条件を生み出してきたとも言える。

  • ◎J~フォーディズムと言う資本主義を批判、突き破れなかったという意味では了解できる。

  • ◎K~質問だが、60年代当時は「軍事」「武装闘争」ということを「ヘゲモニー」としてやって来たのでは無いか。その時、・・・・「逃げた」部分もいる。
  • 70年代以降はこの条件は無くなり、ソ連崩壊以降、「市民運動」の領域で考えて来た。ただし、情勢が煮詰つまり、武装蜂起等が言われだした時、再度「軍事」「武装」ということヘゲモニーが問われるのでは無いか?その場合、どう考えるかを聞ききたい。その共有が僕にとっては必要と思う。

  • ◎司会~同様に聞きたい。69年当時は「居なかった者」だが、ヤルタ体制を打破する運動として、ベトナム革命戦争が展開され、帝国主義の反革命戦争と対峙していた。ゲバラの「第二、第三のベトナムを!」の呼びかけもあった。その呼びかけ、ベトナム革命戦争にどう呼応して、帝国主義内で反革命戦争に対して、「武装闘争・革命戦争」の開始が課題であった。「革命的敗北主義」云々では無く、この課題への着手であった。どう考えるか?

  • ◎I~当時、「武装闘争」によって「革命的敗北主義」を超える契機でもあった。
  • 基本的には「武装」と言うことは、大きくは労働者階級・人民の自己権力の樹立から捉 える必要がある。又、「武装」「軍事」のみを取り出して、全てを考えることは出来ない。第8回大会では、「綱領」「組織」「軍事」「階級基盤」云々とトータルな領域が出された。しかし、それぞれが、別々に、順々に考え、取り組むことは「綺麗ごと」となる。実際は、党内の分岐と党内論争は不可避となる。だから、党内論争の組織化等の「組織観」が重要となる。

  • ◎J~当時は、民衆の運動に何を持って寄与するかは、民衆が出来ないこと「武装」「軍事」で一点突破的に寄与する事を考えていた。若さ~20代の未熟でもあった。本来ならば思想、政治、軍事は別に考えて民衆権力の樹立を考える必要である。資本主義批判を軸にプロレタリアートの解放を考える必要がある。

  • ◎K~それは「認識」ではないか?

  • ◎J~「認識」一般では無い。資本主義批判と言うのは、「思想」のみでは無い。思想と政治~戦略・戦術の二つの面がある。実践的な問題だ。
  • Kの意見については、「旗をふった人間」として責任は考えている。
  • 連合赤軍に於いても、森、永田に責任を押し付けてはいない。
  • 事実関係の分析からは、ブントの武装闘争が「連合赤軍」を生み出したのでは無い。外来思想・外国思想への盲従の結果と思う。ただ、そのことも含めて「責任」は考えている。

  • ◎司会~毛沢東思想の結果では無いのでは無いか。武装闘争の過程での問題では無いか。政治警察との闘いでの敗北・・・その状況、結果では無いか。

  • ◎I~今日は、「7・6」については触れない事を前提に来ている。だから、第8回大会までに留めた。党内闘争の問題だが、その共通の基盤がどう形成されているのか。その為には、イデオロギーもあるが、階級闘争の諸経験もある。党内闘争を展開する場合、共通の基盤は何かを常に確認して行く必要がある。仲良しグループでは無いから、主流派を形成する努力、自らが、主流派である自覚が必要だ。イデオロギー的な脆弱性があった。
  • Kさんの「認識」云々という指摘には共感する。今日は、「総括」の領域がメインだが、資本主義の経過、組織論、根本思想で総括云々で第二次ブントの敗北は総括出来るが、12・18ブント資本主義批判といっても30数年前の話である。I氏的にはブントの「現代革命」論は、30数年前で止まっているのでは無いか。資本主義批判云々だけで可能か?

  • ◎I~そんなことは無い。この間、反差別闘争、「労働情報」運動、農業問題を一つ一つ「革命」との関係~とりわけ社会革命との関係で追求して来ている。その上で現在の反グローバル運動との関係で「現代革命」を提起している。「資本主義のグローバリズム」「反グローバル運動」と言っても、30数年の経過の上にあるのだ。タダ飯を食って来たのでは無い。

  • ◎M~ⓐ(第二次)ブントは敗北し、「分裂」したが、「解体」して無くなってはいない。「分裂」したとは、又再結集が可能であると思う。敗北、分裂したとしたら、何故かは考えて行く必要はある。
  • ⓑ60年代の階級関係~自民党VS日共、社会党・総評、新左翼という構造が90年代以降無くなった。「新左翼」が自力で、自民党との政治闘争、労働運動等の対決構造を作る必要性。
  • ⓒ基本的に「八木レジュメ」の総括については承認できる。又、従来に無く第6回大会の再評価は必要と思う。第二次ブントは戦略・戦術主義で誤りと総括されるが、それのみであったかは再考の必要がある。関西地方委員会は「共産主義論争」と「分派闘争の方法」を巡り論議していた。最終、「無政府主義的」分派闘争には反対した。
  • ⓓ第8回大会は参加したが、「さらぎ・階級関係論」は右翼日和見主義だから粉砕だ!との記憶しか無い。第6回大会の再考も含めて「党建設」の問題意識は必要だ。 当時、60年代末は「1917年状況」の認識であったが、05年から17年にかけてのレーニンの「党建設」を想起する事が必要である。又18年から25年にかけて一国的な革命の勝利から世界革命に向けての社会主義建設のために、党の指導の役割の重要性がある。

  • ◎N~ⓐ総括は難しい。若い人に伝わるような内容、方法が必要。今回は、全体的に分かり易いい。『年誌』の中での論議~政治革命と社会革命で言えば、社会革命派の立場では無いかと思われる。(第二次)ブントの再総括は、第6回、7回、8回、9回大会を経て、どちらかと言うと第7回大会派であった。ただし、今回第6回大会の再評価は意義を感じる。水沢階級形成論にしても正誤は別として、第7回大会では消えている。中央権力問題化され、労働者階級の階級形成と社会主義建設の問題が考慮されなかった。
  • ⓑ総括として、現在的意義を言えるならば「反省」も必要ではないか。韓国の労働運動と比較しても、日本の労働運動は「連合」しか無いと言われる。30数年間と現在の運動圏の現状を考えれば「反省」が必要と思う。「反省」の一つは労働運動である。革命的プロレタリアートの形成に敗北したのでは無いか。ブントはこの粘り強い活動が出来なかった。もう一つは、党建設である。今回の提起は重要と思う。ただ、連合赤軍問題でも言えるが、党内論争の組織化の時、暴力的に展開してきた事である。さらぎ氏の遺言的文書でもこの指摘と「反省」を言われている。まずは「反省」が必要ではないか。

  • ◎O~ⓐ労働組合運動内での「共産主義者」の活動は、継続性と長期性が必要と思う。この点、地区反戦運動も含めてブントは性急すぎた。当時は民同、今も諸潮流に対しては、持久的に活動する必要がある。
  • ⓑ陸・海・空三軍論~陸軍=労働組合、海軍=生産協同組合、事業等、空軍=政党~全国政治、思想・理論、この三軍構造が必要。