2008年8月11日月曜日

『共産主義運動年誌』第9号・発刊にあたって

 『共産主義運動年誌』編集委員会事務局

 『年誌』第9号をお届けできる見通しがついた。昨年8号の発行とほぼ同じく予定よりも半月ほど遅れた勘定になる。予定の遅れが常態になることも、その言い訳を重ねることも見苦しいものだが、ひとえに、昨年を遥かに上回る、会員それぞれの政治活動の繁忙によるものであることは、一言申し開きをしておきたい。昨年来の支配階級による改憲・国民投票法制定攻撃のころから、現在、そしてこの夏から秋にかけてびっしりと政治日程が詰まっている。
 特徴的なことは、世界的にも一国的にもこれが、必ずしも資本と国家の強さを示すものではないということである。確かにわが国社会における民族排外主義の悪煽動や、労働者間の競争と対立をあおる差別支配によって、人びとの表情は険しく、社会の雰囲気はとげとげしい。貧困と窮乏は、ひとにぎりの富裕層を除いて広範な中間層の分解とともに多くの人々の生活の中でのリアルな脅威となっている。この30年来の、世界を席巻してきた新自由主義・グローバリゼーションの結果がこれである。恐るべきは、これを積極的に推進してきた帝国主義・支配階級自身が、この経済社会の破綻状況に手をつかねているように見受けられることだ。湾岸戦争にはじまり、アフガニスタン、イラク侵略戦争を次々と引き起こしてきた米帝国主義が、その戦争の泥沼化に苦悶し、国内経済社会の破綻に直面している。世界的なレベルで、支配階級は国家統合・経済再建の弥縫策を繰り出すものの、そのたびごとにより大きな矛盾を引き出され、結果として事態を打開するための何事も進めることができないという状態が出現している。帝国主義・資本家階級の統治力の衰退が白日の下にさらされている。かつてない事態である。労働者階級・被搾取勤労大衆・被抑圧民族人民がこれにとって代わるほか、展望はどこにもない。
 とりわけわが国社会においては、余りにも長期にわたる低迷と閉塞状況を打ち破って、人間としての自由と権利、生存そのものを求める、青年労働者の広範な台頭が、ようやくにしてはじまった。本年5月3日に東京で行われた『フリーターメーデー』には600人もの青年を中心とする結集があった。東京のみならず、全国の主要都市で、同時の結集があったことにこれが全社会的規模の運動であることが示されている。
 新しい皮袋に盛られなければならない。現在台頭の兆しを見せている運動を育て発展させていくのは、結局その当事者たる青年みずからの事業となるほかはない。ただ、片付かなかった政治的思想的な残骸やガラクタを放り出し、あとから進む人びとのために道を広広と掃き清め、本当に値打ちのある知識と経験を寄贈する作業は、この数十年来の活動に携わってきた人間のなすべきことだろう。わが『年誌』も、去る4月第10回全体会をおこない、この課題を見据えて以下の確認をおこなった。
 「左翼再編の要件について以下の諸問題に留意する。①60年代総括、②7・80年代権力闘争の未貫徹、③ソ連崩壊による蛸壺化。そのうえで、政治協議の具体化、強化を提案する。その課題は①2000年代の権力闘争のあり方、②新左翼総括、自己変革の促進、政治協議の蓄積である。」
 『年誌』9号の編集からも、幾分かはそうした意図を読みとっていただければ幸甚である。『改憲反対共同声明』はコミュニケーションの場としての『年誌』のあり方を尊重しつつトライした、政治協議、共同の試みである。『共同声明』作成の意図と経過、問題意識を紹介した『関西共産主義運動』シンポ(KCM)の文書も、共通する問題意識によって起草されたものと理解している。世界的なスケールと歴史的展望を織り込んだ政治的宣言であり、今後の相互討論のベースとして扱っていきたい。この一年間、当会内外に渉る有意義な意見交換と相互協力を積み重ねて次の展望を開きたい。多くの仲間の引き続きの注目と参加を呼びかける。
                                            2008年5月

共産主義運動年誌第9号目次

共産主義運動年誌第9号2008年

〈情勢と政治〉

改憲反対共同声明/『年誌』会員有志6反改憲運動と左翼の憲法観―「共同声明」によせて/志摩玲介10
グローバル帝国主義の矛盾と世界同時革命―時代の転換から左翼再編へ―/(補)自民党の改憲思想批判/旭凡太郎13
「自民対民主」の欺瞞を乗り越える第三極を!/反動、貧困化促進の路線は変わらず/軍隊の本性を暴露したイージス艦と漁船との衝突事件/阿部治正(ワーカーズ)36
08年サミット反対・9条改憲阻止闘争と結合し、共産主義運動の再生・再統合を勝取ろう!/岩田吾郎44
『関西共産主義運動シンポジウム』の結成について―『共産主義運動年誌』関西シンポジウムの立場と今後―/(文責)八木沢二郎46
WTO体制と反グローバル運動・反貧困闘争について/流広志53
米軍再編との総対決から、全球化帝国主義・情報金融独占と闘う国際主義的連帯を!/畑中文治56

〈闘争と報告〉

立ち上がる非正規労働者/阿部治正(ワーカーズ)65
格差社会に立ち向かう゛連帯型〟賃金/法律はたたかう人には武器になる/飯嶋廣(ワーカーズ)67
「コミュニティユニオン」は企業別組合を超えられるか?/大来慧77
レポート08年キューバ医療ツアー/北村裕82
進行する保安処分体制の動き―医療観察法の廃止に向けて―/北村裕86
日本の左翼にとって〈沖縄〉とは何か/竹田晋90
東ティモール「非常事態宣言」/羽山太郎103
寄稿 反帝国主義に立脚する学生運動の全国的建設を! 戦争国家化・新自由主義政策と対決し、日本学生運動の歴史的再建へ/共産主義者同盟学生班協議会107
広告(仮題)追想 中村丈夫―共産党から新左翼への70年/フェニックス社120

〈理論と考察〉

ローザ・ルクセンブルグ「資本蓄積論」を中心に/アウト飲み屋122
戦後マルクス主義の総括のために/旭凡太郎127
ボリシェヴィキ革命の破綻/志摩玲介158
革マル主義とは何であったか/赤井莞爾163
橋本剛『マルクスの人間主義―その根源性と普遍性』の紹介/伊藤一(『国際主義』編集会議)184
1950年代における仙台の学生運動/植村泰202
『市民社会」と「社交体」/白井順225

表紙設計 府川充男

[定価]1000円+税[発行]共産主義運動年誌編集委員会
[連絡先]東京都千代田区富士見2-2-2 東京三和ビル303 電話・ファックス03-3264-4341 スペース303
[発売]築地電子活版 http://www.tsukiji-type.co.jp取扱い書店 模索社

2008年1月19日土曜日

改憲反対共同声明

 「改憲反対共同声明」への意見表明と賛同署名のお願い

 現下の改憲攻撃との闘いに資するため、仲間の皆さんに、当『年誌』会員5人(旭凡太郎、志摩玲介、流広志、畑中文治、羽山太郎)の発意による共同声明への、賛同署名をお願いします。本文の趣旨にもありますように、この闘いの観点を整え、意見交換を深め団結を強める基礎的な素材となれば、望外の喜びとするところです。
 なお、趣旨に賛同いただけるのであれば、補足・追加意見を公表する機会を『年誌』次号(第9号)で提供しますので、意見文書を添えて、その旨お申し越しください。意見表明の意思は、署名に*を付すことで表示いたします。

 改憲反対共同声明

 Ⅰ 「明文改憲クーデタ」は打ち砕かれた

 7月23日の参議院選挙は日本労働者・人民の歴史的な投票行動となった。消えた年金、政治とカネ、閣僚の失言など安倍政権への有権者の危機感がうずまいた結果、自民党は惨敗し、民主党は政権交代を射程にいれた。さらに9月、国政統括力をなくした安倍が政権を投げだし、自民党の派閥談合による福田・選挙管理内閣があわただしく発足した。
 政局の流動化は憲法闘争の条件をがらりと変化させている。わたしたちは、この時期の特徴をつかみとり改憲阻止の運動を前進させるために共同声明を発表することにした。
 周知のように、参院自民党は改選議席61から37へと転落し(非改選46)、公明党10(非改選11)をあわせてた与党全体で104議席をおおきく下回った。衆院でたとえ憲法改定がが議決されても参院で否決される「ねじれ国会」の構造ができあがり、明文改憲による強行突破が困難になったのである。参院に解散はなく、3年後改選で自公57から75以上の多数派に転じる現実性はとぼしいから、民主党などが優位する参院運営から6年間はつづくことになる。
 こうして、自民党憲法改正草案、強行採決による教育基本法改悪、国民投票法とつづいてきた「明文改憲クーデタ」の流れは打ち砕かれ、「美しい国」流のロマンチックなイデオロギー政治への都市サラリーマン層の「反乱」、小泉「構造改革」―郵政民営化の歪みをしわよせされた農民層ら地方の「反乱」、これから大きな力をえていた。
 だが、この勝利に安堵することはできない。明文改憲のもくろみが当面遠のいた反面、解釈改憲にドライブがかかる可能性が強まるからである。じっさい、米国主導の中東侵略戦争に呼応した米軍再編は日米安保条約をテコに沖縄などで顕著だし、自衛隊の海外派兵と米軍支援も続行されている。秋期国会では期限切れのせまる「テロ特措法」にかわる新法案上程が焦点化している。これらは9条改憲阻止の憲法闘争として重要である。

 Ⅱ 9条改憲反対の声をさらに強めよう

 ところで、今後の憲法闘争を小沢民主党に期待していいだろうか。たしかに、参院選で当選した民主党60人の改選議員のうち41パーセントが改憲反対で賛成派29%を上回った(『朝日』8月7日)。
 これらを押し上げた力は、「構造改革」による地方切り捨てに直面した小規模農家や、雇用労働者の三分の一をしめる非正規雇用のワーキングプアやフリーターなど、生存権(憲法第25条)や幸福追求権(第13条)を脅かされた格差社会下層の怒りが充満していたことにある。一人区行脚で小沢が訴えてきた個別農家保障制度や子供手当などは魅力的に映っただろうが、財源の裏付けが不明で実効性は疑問である。社会的下層を野放しの市場競争のいけにえにする新自由主義への規制がなお明瞭ではないのだ。
 わすれてはならないのは民主党が「論憲」をかかげる潜在的な改憲勢力だという事実である。参院選では表面化しなかったが、小沢らの国連外交重視の姿勢は、集団的自衛権(国連憲章51条)を容認し「平和憲法」に抵触する危険性がおおきい。政権交代と二大政党制をめざす民主党が小沢の決断力と突破力とに依存し、福田の政策的すりより(機能的連立)や衆院協議解散には応じないものの、アメリカ大統領選挙をにらんで死に体となったブッシュ共和党政権に距離をおくかぎりで「テロ特措法」に反対するのだとすれば、その問題性をみすごすことはできない。
 護憲―改憲阻止派の出口はどこにあるのか。それは、たとえば「従軍慰安婦」問題について日本政府の公式の謝罪をもとめるフィリピン、台湾、韓国、香港などの対日非難決議をうけとめ、戦後憲法理念にふさわしい歴史認識をあらたに構築していくことである。日本の戦争・戦後責任を追求するアジア民衆の対日請求権・裁判権を支持し、互恵と共生をめざす国際的な潮流とむすびあった反改憲運動をつくりあげていくことは緊急の課題といえよう。運動の発展を阻害する内ゲバ思想は問題外である。

 Ⅲ 人民の社会的憲法のための問題群

 既存の護憲運動は、第9条を一国平和主義的に擁護するにとどまり、一連の改憲策動への抵抗を弱めてきた。また、象徴天皇条項を放置して主権在民意識のほりくずしにたいする反撃を不十分にしてきた。わたしたちは、人民の社会的憲法をたたかいとる闘憲の観点からひろく議論をおこすためにいくつかの問題群を提示しておきたい。
 第一に、平和主義の発展方向について、改憲攻撃の標的にされてきた9条は、旧日本帝国によるアジア侵略戦争への反省として当然の条項である。だが、冷戦以前に制定された日本国憲法がその後の日米同盟のなかで閉塞させられてきたのも事実である。「日本の平和」は、沖縄への在日米軍基地の集中、韓国やフィリピンなど周辺諸国による軍事基地の肩代わりによって維持されてきた。こうした戦後体制を「9条を世界へ」の方向で打開するうえで、親米好戦外交から非同盟非戦外交への転換が不可欠ではないか。
 第二に、新しい社会運動に対応する人権概念の拡張について。この分野のテーマはいくつかあるが、一例として環境権は、先日の中越沖地震による柏崎刈羽原発被災をひくまでもなく、地域社会さらに地球規模での共同利益の社会的享有を守る権利として重要である。また先住権は、日本列島住民のばあい、先住民族としてのアイヌ、琉球自身による政治的分離の権利、自治権の具体化としての民族議席の新設など、当該諸民族の独自の言語・文化・信仰を尊重し、自己決定権の確立を支援する視点が重要ではないか。
 第三に、旧「社会主義」憲法の反省にかんして、1930年代にその原型がつくられた「社会主義」憲法は、「憲法の階級性」や規範優位説(権利の劣位)を強調して、党=国家権力の専断が人びとの自発性を抑圧するシステムを固定化した。近代憲法の目的価値としての人権、およびそれを保証する手段としての立憲政治にあらためて光を当て、抵抗権・革命権をふくむ市民権と階級性との関連を再構成する必要があるのではないか。それは、トータルでラディカルな社会変革運動において、賃労働者階級とさまざまな社会グループとの協力をより深く意義づけることにつながるだろう。

 Ⅳ わたしたちの主張

 わたしたちは労働者・市民の立場から反改憲運動を発展させていくために、当面つぎの三点を主張する。
 改憲攻撃の要は9条改憲にあり、政治過程の動向を注視しながら解釈・明文のいかんを問わずあらゆる改憲のもくろみに反対する。今秋期、「テロ特措法」のいかなる継続をも許さず、アジア民衆とともにイラクやインド洋に展開する自衛隊の即時撤退を要求する。
 また、市場原理主義のもたらす格差社会下層とくに若者層の流動化に着目し、人間として生きる権利、働く権利を実質化していく底辺からの運動を支援する。それによって、グローバル資本の搾取と支配に抵抗する全世界の民衆のたたかいと合流する。
 憲法闘争固有の諸問題をめぐり運動主体の歴史的な経験の集約と整理をうながす議論をつみかさね、わたしたちの立ち位置より明確にする努力をおこなう。
 心ある多くの人びとの本声明への賛同を願っている。

 賛同人(順不同・敬称略)
 花園紀男・青山到・山中明・北原啓史・人類一志・相模潤・坂本一馬・小山明・佐藤保・北村裕・大杉仁一郎・早川礼二・広澤範治・深沢・蔵田計成・樋口篤三・白井朗・山本健一 (マルクス主義研究者)・北山峻
                             (2008年1月19日現在)
  

2007年8月7日火曜日

第4回『年誌』関西シンポ資料 八木さんのレジュメ

現代革命とブントの諸論争~第4回『年誌』関西シンポジウム

6月24日・八木健彦

 <はじめに>

 60年代後半~70年代初頭における世界的闘い、そしてその世界性の共有を追求した日本の闘い、それは国際共産主義運動の中でどのような歴史的位置を有し、どのような壁に挑戦し続けたものだったのだろうか。そしてまたどのような限界につきまとわれながら、どう敗北したものだったのだろうか。

 それはいわば、1920-21年にレーニンとロシア共産党・コミンテルンが突き当たっていた壁を引きずりながら、新たな歴史的位相と条件の下でそれを乗り越えるべく挑戦しながらも、あまりの主体的未熟さの故に砕け散ったと言えよう。(ただ、一旦切り開かれた闘いはその後様々に広がっていったのではあるが・・・。)

Ⅰ、60年代後半~70年代初頭の闘いの歴史的特質

 冷戦構造と戦後帝国主義=フォーディズムの成熟平準化=高度成長と再分割戦 

 米帝の軍事的経済的基軸国化と侵略反革命同盟(安保・NATO)、IMFドル体制生産過程のフォードシステム化(労働過程での知識と管理の資本への集中、自動機械、科学の資本の力への転化、構想と実行の分離の巨大化、技術・管理の巨大化と階層性・差別・細分化etc)と、それを土台として労働者の消費様式を変革し積極的に蓄積体制に組み込んだ、耐久消費財の大量生産―大量消費の成長体制、これらの基礎ともなり結果でもあった社会契約的な労資協調体制(その直接の中心は「テーラー主義の受容」対「生産性インデックス賃金」の取引)[註1]、そしてそれを包み他階層へ波及リンクさせていくケインズ政策と管理的福祉国家、そういう全体を“フォーディズム”と呼ぶ。 

 従ってフォーディズムは戦後革命の挫折の上に、労働運動・旧左翼を社会契約的な労資協調へと引き込み、組織化し、大量生産―大量消費を生活文化様式にまで及んで社会全体の規定力としていくブルジョアヘゲモニーでもあった。[註2]

 そしてその下での国家は、同じ基盤に立つ者にはコーポラティズムとして、その外にある者には暴力的抑圧と差別的統合を、民主主義の外皮で掩い包んでいた。

 実際、この下で官僚的警察的抑圧機構は強化・肥大し続けた。

 スターリン主義的「国家社会主義」(一党・一分派による政治・イデオロギーの独占を基礎とした、官僚による労働と生産の指揮命令型集産主義経済)の、軍事的=警察的抑圧体制と帝国主義との生産力―福祉競争

 第三世界では、植民地独立にもかかわらず、大土地所有、買弁・流通資本支配、外国資本の原料・工業支配は相変わらず。「新植民地主義」とか「低開発の開発」(新従属理論と言われたもの。[註3]

 不均等発展と再分割戦の進行は“ドル危機”として端的に表現。

 侵略反革命とフォーディズム、管理的福祉国家秩序と第三世界の抑圧収奪は表裏一体のものとして。

 フォーディズムは第一次大戦~ロシア革命以降、大戦間の試行を経ながら資本主義が行き着いた一つの画期であり、グラムシも注目していたものであった。

 [註1]“社会契約的な”労資協調体制は先行する階級闘争の諸結果であり、ニューディール連合や人民戦線~祖国戦線や戦後革命の挫折としての戦後民主主義体制、及びソ連圏「国家社会主義」との対抗を基盤として、また直接には従来の労働過程の相対的自立性と労働者相互扶助に基づいた労働社会とそれを基盤として組織化した戦闘的労働運動の徹底的弾圧の上に、巨大労組―改良主義「労働者」政党による利害代表という構造で体現された。「テーラー主義の受容」と「生産性インデックス賃金」の取引は、こういう構造の中にビルトインされたものであった。

 第2次ブンドの「階級的労働運動」は、このような“社会契約”の構造(内容的にも政治組織構造としても)そのものと対抗する運動を築いていくことを主軸として、それに諸々の個別的な闘いを結びつけていくべきこと、(とくに官公労や中小の地域労働運動を結びつけていく)そうでない限り階級的運動たりえないことを主張したのだと言える。(「反帝統一戦線と階級的労働運動」)

 [註2]フォーディズムを基盤として成長した多国籍企業が、フォーディズムの行き詰まり(70年代のスタグフレーションやエネルギー危機で顕著に)に対して新自由主義でもってその支配を拡張し、グローバリゼーションとして世界を席巻しつつ、一面ではフォーディズムを堀り崩し、社会的危機と階級闘争の新たな条件を招来させていることは、第3回のシンポで触れられている。

 [註3]60年代末以降、第三世界の一部で、「開発独裁」と外国資本支配下での従属的工業化(輸出工業)が進行し、(それは多国籍企業化と相即的)、そしてNICS等が台頭したこと、そして今日では多国籍資本の支配=グローバリズムと反グローバリズムのせめぎあいをつくりだしていること、そうして民族解放闘争の新たな時代が始まっていること、これも前回で触れられている。

 ,世界プロレタリア革命の一環としての反帝・反封建・反買弁の民族解放(中国・キューバ・ベトナム)= 民族解放闘争の世界革命の最前線化

 最晩年のレーニンの予見。

 スターリン主義との相克

 冷戦構造を揺り動かし世界革命の最前線を形成したベトナム革命戦争

 OLAS―ゲバラ・カストロ路線

 ,中国「プロ文革」とユーゴ「自主管理社会主義」

 中国「プロ文革」は諸々の問題を曝しながらも(「階級闘争」が一分派による政治・イデオロギーの独占に帰結とか、過渡期の諸方策を“資本主義的”とする否定だとか、農民的水平主義的共産主義だとか・・・)、管理の問題、分業止揚の問題を公然と課題に掲げた。

 ヨーロッパの共産主義運動に大きな影響を与えたユーゴの「自主管理社会主義」

 チェコ“プラハの春”・・・・(「管理」の問題が公然と大問題になったのは、1920年前後の「労働組合」論争からネップへの移行における、レーニン・トロツキー・労働者反対派等の論争以来である。)

 ,帝国主義国では・・・・

 アメリカでは「ニューディ-ル連合」を左へ突き破っていく闘い~ベトナム反戦闘争と黒人解放闘争の合流、SDS、対抗文化(ウッドストック)

 フランスーカルチェラタンと「五月革命」、イタリアー続発する工場占拠

 ドイツ学生闘争―SDS。「権威主義的コーポラティズムを内実とする民主主義」批判

 以上の俯瞰から見えてくる60年代後半~七〇年代初頭の闘いは帝国主義の侵略反革命に対決しつつ、フォーディズムへの対抗、それの根本的な拒絶・転倒 ということに集約できる。

 国際的な学生叛乱も、帝国主義の侵略反革命との対決と前記の「科学や知識の資本への集中とその抑圧力への転化」、「技術・管理の巨大化と階層性・差別・細分化」への編成、労働力再生産機構=管理的福祉国家秩序との対抗的関係にあったと言える。

 だからフォーディズムとの対抗は、諸々の個別的な現実的契機をめぐっての闘いと同時に、社会主義をめぐる「労働者自身による自主的意識的な労働と生活の管理・運営」「工業と農業、労働者と農民の関係」「市場や割り当て経済に代わる道」

 「第三世界との関係の変革」etcといった問題を内包している。

 “民主主義と暴力”を巡る問題は、フォーディズム下の国家との対決にあって本質的問題であったが、それは侵略反革命との対決―世界革命の貫徹という国際主義とフォーディズムへの対抗、その拡大・深化に裏打ちされてこそ意義あるものであった。すなわち、暴力とヘゲモニーの問題。ヘゲモニーに基礎づけられヘゲモニーを貫徹するものとしての暴力。労働者人民の自己権力としての暴力。・・・

 全人民的政治闘争~平時からのソヴェト運動という構図は、国際主義と権力問題~フォーディズムに取って代わる社会革命の諸課題という射程でこそ、より十全な意義を持ち得たのでは・・・

 ,第2次ブンド6回大会~7回大会

 マル戦派の主導でのブンド再建統一=6回大会

 岩田世界資本主義論;基軸国の国際収支危機による多角的決済機構の崩壊と基軸国の動揺による世界資本主義の危機と合理化攻撃&水沢階級形成(労働過程)論;労働者は商品売買関係では自由・平等の関係だが生産過程では支配強制の関係であり、生活・権利の要求もこの強制・支配関係に直面する。

 「生活と権利の実力防衛を反帝闘争へ!反帝闘争をプロレタリア日本革命へ!」

 「日本革命をアジア革命の勝利と世界革命の突破口とせよ!」

 7回大会=関西ブンド系の主導権確立とマル戦派との分裂

 過渡期世界論と帝国主義の不均等発展~再分割戦

 3ブロック階級闘争の結合=世界同時革命

 帝国主義の侵略反革命と帝国主義的社会再編粉砕!

 <国際主義と組織された暴力>

 6回大会の路線が経済主義的で一国主義的なのはいうまでもないが、それにとって変わった7回大会路線は、国際階級闘争をトータルに対象化して獲得すべき同質性を提示しょうとした点では画期的であったが、労働過程論(絶対的とくに相対的剰余価値の生産)や労働力再生産過程を帝国主義論の中に位置づけられなという重大な欠陥を内包していた。

 それゆえ、プロレタリアートの現実への批判に基礎を置くのではなく、抽象的な観念化された主体をに基礎を求める傾向を生み出した。

  闘いの深化とともに必然的となった綱領問題にあっても、資本主義批判・帝国主義批判~共産主義論を貫く赤い糸=労働過程論・絶対的相対的剰余価値生産・賃労働制の全面的批判という土台を欠いて、イデオロギー的分岐とすれ違いを促進した。

 全人民的政治闘争~平時からのソヴェト運動という構図は、国際主義と権力問題~フォーディズムに取って代わる社会革命の諸課題という射程でこそ、より十全な意義を持ち得たのでは・・・

 統一(連合)と分裂をめぐる党組織論の問題については別途。

 Ⅱ 戦術における「左翼主義」の止揚と戦略的組織―活動

 60年代末に、国際階級闘争は帝国主義諸国の革命の問題を提出した。そして帝国主義諸国での端緒的な大衆的武装闘争の波はその足踏みとともに革命の問題を提起した。

 だが、「革命の問題を提起」ということは今すぐ革命が可能ということではなく、革命を観念の中での構想ということから現実の問題として捉えること、従って、日々の活動と組織が革命を準備するものとして、意識的に系統付けられたものとならねばならないことを提示していた。

  現実の階級闘争の最前線で闘いながらその中に意識性と組織性を持ち込み、革命を準備する戦略的な活動―組織に結びつけていくということは、従来の戦術における左翼主義=「革命的敗北主義」と称された自然成長論的な考え方の克服を不可欠とするものであった。

 ブンド8回大会は、こういう転回点において、「革命家の組織」や「軍事組織」や「綱領問題」や「階級基盤の強化」や等々、諸々の問題を提起したが、それらのことが分化しつつある諸傾向間の党内論争の組織化と結びつくことなく、意味あるものとはなりえなかった。

 8回大会の主題は、決定的に重要なものとしての「組織建設」ということの提起であったが・・・・。

 レーニン主義の道とは?

 Ⅲ 党組織論

 6回大会→7回大会におけるマル戦派との分裂と、その反省的総括の回避はその後自身に跳ね返ってくるものとなった。

 第2次ブンドもスターリン主義党組織観=「民主集中性」や「一枚岩党」をひきずっており(コミンテルン5回大会のボルシャヴィキ化で確立)、事実上の連合性や分派性は無視され、その止揚や論争の方法論自体が存在しなかった

 転変する階級闘争内にあって、党内に様々な傾向が生じ、様々なグループが生まれ、分派という形をとりもすることは、当たり前のことである。レーニンの党組織論にあってもそれは前提である。その中で党内論争を組織し、その党内論争によって全体を統一する主流派へと形成すべく努力していくのであり、そういうことの経験と訓練の蓄積が重要なのである。

 21年の分派禁止は最大の危機の瞬間における臨時的非常措置であったが、それは常態化していきスターリン派の党支配の起点となった。(「なにをなすべきか」における「社会主義のイデオロギー」と「自然発生性の目的意識性への転化」「諸階級層の相互関係と全面的政治暴露」の相互関係)

 vsスターリン主義の党観&革共同・黒田の党観&

 とはいえ、一つの党としては社会主義のイデオロギーや綱領なり、戦略戦術や、運動の対権力・資本関係なり、大衆的階級的結合・基盤なり、組織建設の蓄積なりの一定の水準と共有は前提される。こういう力量・蓄積の弱さということもあった。

 とりわけイデオロギー的な脆弱性と組織建設における脆弱性。

 組織建設の脆弱性がマル戦派との分裂へと駆り立てる?

 総じて連合する能力、連合の中で論争を組織しながらその止揚・主流派ヘゲモニーの形成していく能力の弱さ。

 Ⅳ ブンドの根本思想をめぐる問題

 ,第1次ブンドの分裂と第2次ブンド

  1次ブンドが戦旗派・プロ通派・革通派に3分解し、戦旗派=世界観と労働者党

 プロ通派=実践論・戦略―運動論、革通派=危機論(帝国主義論)―戦略論

 戦旗派は革共同へ移行し、よって第2次ブンドはプロ通派と革通派の合同―相互止揚という方向で形成された。

 それ故、「立脚点」的なイデオロギーをめぐる論争は予め視野の外に。(もしくは個人の領域)

 そういうイデオロギー的基盤の脆弱性は、「武装」を契機に、現実の階級闘争がどこから、何故に、どこへ向かっているのかという前提・共通認識の欠如として顕在化し、プロレタリアートの闘う必然性と、闘う契機や個々の運動と、対抗的な社会変革路線とが不可分のものとして登場していることに対して応じきれないという問題を生起させた。

 2,それに答えようとしたものとして田原のプロ独・共産主義論があり、その(自己)批判的超克をも含んで、12/18ブンドの資本主義批判や黒田哲学批判があった。

 田原のプロ独・共産主義論については今は触れない。

 12/18ブンドの榎原資本主義批判と黒田哲学批判はその歴史的意義を認めた上で、今日的には批判的に越えられねばならない。

 榎原資本主義批判の問題点

 資本論第一巻の価値論的完結→特に相対的剰余価値の生産等労働過程論の無視、賃労働制の全面的な暴露=プロレタリアートの現実の全面的な暴露とそこでの旧社会の変革的諸契機と新社会の形成的諸要素の成熟ということを、資本主義批判からそぎ落としている。(マルクスがそこでそういうことを論じていることを知っているがあえて取り扱わないと述べている。それでどうして第1インター一般規約第一条の深遠な思想云々と言えるのか!)

 確かにそこからは帝国主義論も信用資本主義論となり、社会革命も物象化論から導くことにならざるをえない。

 黒田哲学批判における問題点

 初期マルクスの疎外論の克服=ドイデ・分業論と「社会関係の総体」→資本論へという把握

 初期の労働論・疎外論を克服された急進民主主義的傾向としてではなく、資本論との関係の中に捉え返すべきでは?